「まだ大きな変化はありませんが、ここでコツを教えてもらって、子どもたちと話しやすくなりました」そう笑顔で語ったのは、ひきこもりの息子さんをもつお母さんでした。 初回面談にお姉さんと一緒に来所されたお母さんは、着の身着のまま憔悴し、駆け込み寺になんとか辿り着くかのようでした。 次男のSNSに本人が書き込んだ「死にたい…。死んでやる」の文字に、 「私の育て方が間違っていたんでしょうか?」とハンカチを片手に震えてみえました。 ちょうどその頃、ご家族を対象とした「ひきこもり家族教室 CRAFT」というセミナーを手掛けていたものですから、育て方の間違いではないことをお伝えし、一緒に「ひきこもり」というものを勉強して、よりよい関わり方を学んでいくことにしました。 「自分で出したゴミを、自分で片付けただけで褒めるんですか?」と、お母さんは、ごもっともな疑問を口にされました。 日常の中にある、「当たり前」。その当たり前だと感じられる出来事を、あえて褒める。お母さんは、そんな考え方に驚きながらも、新たな気付きを得てくださいました。その日から、九割当たり前だと感じながらも一割の「それでも、今回はやってくれた」ことに目を向けて、さりげなく「やってくれてありがとう」と伝えることを実践していただきました。 翌日、また息子さんは、自分の部屋の前にゴミをまとめて出してくれていたそうです。翌日も、その翌日も…。 嬉しかったでしょうね。息子さんにとって、負い目を感じることはあっても、褒められることはなかったから。嬉しかったでしょうね。お母さんにとって、息子さんが自分の伝えたことを返してくれたから。その日を境に、お会いするたびお母さんの笑顔が増えていったように感じました。 「こうやって、笑って子どものことを話せているなんて信じられないくらい」そう言って、息子さんとのやりとりを大変なことも含めて教えてくださいます。 北風と太陽の寓話があります。「服を脱がせる」という目的は同じ。アプローチによって反応と結果が変わるように、これまでの方法がうまくいかないとしたら、別の方法が太陽になっていく可能性もあるのかもしれませんね。 冒頭では「大きな変化がない」と書きましたが、今では息子さんご自身が私たちの支援に足を運び始めてくれています。もちろん、SNSでの心配な書き込みも、あれから見られていません。その間の半年ほど、本当に辛抱強く新しいコミュニケーションを実践されていたお母さんは、やはり太陽なんでしょうね。