「お金は稼ぎたいんだけれど、体力的にキツそうかな」 「やってみたいけれど、どうせ話すのは苦手だから止めようか」相談支援をしていると、ご自身の目標と現実のギャップにもがき苦しみ、ときに目を背けて一時退避をする瞬間に出会うことがあります。 二十代の男性は、専門学校を卒業した後に就職には繋がらず、アルバイトを開始することもなく、一年が過ぎようとしていました。もともと閉じがちな性格で、嫌なときは表現できずにストライキをしていたため、お会いできたのは訪問を受け入れてくれた自宅でした。 「本当は求めているけれど、いつも『選ばない』という選択を繰り返してきたから今回も」いつもではないですが、そんな気持ちが隠れているときは、ときどきイソップ童話の『すっぱいブドウ』の話を思い出します。手が届かない高い木の枝にブドウを見つけたキツネが「どうせあのブドウは酸っぱくてまずい」と、ブドウをあきらめて立ち去ってしまう物語です。 心理学において、このような現象は「認知的不協和」という概念で説明されてきました。自分の過去の行動と自分の好みが一貫していない場合に、「認知的不協和」という不快な感情状態が引き起こされ、それを減らすために自分の好みを変化させると考えられています。 自分のこころを守るために、困難との間にクッションを作ることが必要なときもあります。ブドウの代わりにレモンを「甘い」と言い聞かせて、お腹を満たすことが必要なときもあります。しかし一方で、「選ばなかった=嫌い・きっとできない」が、「選んだ=好き・できるかも」と、小さな実感のある自信に積み重なっていくことがあることも教えてくれています。 「本当は、やってみたいんだけれど…(今はとてもじゃない)」 「本当は、やってみたいんだけれど。(どうかな?)」同じ言葉からもその奥に潜んだ本当の気持ちに出会えるように対話を重ねていくことで、止まるときと進むときを選択できるように、寄り添っていくことを心掛けていますが、半年経った現在も、家の外でお会いすることはできていません。それでも定期的に市役所で本人やご家族や担当者の方と取り組みを共有しながら、将来のために今できることを話していくのですが、家に帰ると「面倒くさい。やらない」と二転三転していきます。 やった方がいいかもしれない。よく分からないから、面倒くさい。お金は欲しいけれど、働きたくない。やりたいけれど、やりたくない。彼の中のすっぱいブドウは、ブドウに目を向けていては、お腹が満たされないようです。鳥になることを願うことがあっても、キツネである自分自身の特性に目を向けて、受け入れていけるように、まだまだ道のりは長そうです。